裸足

芸術の追求

小説『星』

小説『星』

 

一歳ひととせ

 

 

 地球が自転を終えるまでの、その日のうちで、比類なきまでの大声を出した。号哭であった。大地を轟かせ、空を圧倒し、ひとつの超新星爆発が起こったと明記しても、さながら過言ではないくらいに。獣かというよりも、人間の感情がとぐろを巻いていた。怒気の波紋がどこまでも伝わって、またたく間に周って、ぶつかり合えば、一粒の涙。巨大な画板の前でうずくまり、左手に赤のペイントが付いた絵筆を握りしめながら、彼は泣いた。

 三分の期待。それは、何物にも変え難い幸福の詰まった坩堝。言語不要のめまぐるしい夢の中で、彼はまぶたを縛った目隠しに触れては鼻息を荒くした。上等な革靴が古い屋敷の床板をギシギシと鳴らして、画板まではドアから十歩もない。全て計算を尽くしてきた、全てはこの日のためにあった。しかし目の前に置かれた最高に美しい真実の開扉だけは、どれだけ想像を膨らませても用意できるものではなかった。彼は十歩めにつま先を揃えて、長い深呼吸をした。そして、昂る気持ちを均し静めると、震える手で最後に目隠しを弄び、ゆっくりと掴んだのだった。

 一歳の信念。それは、生み落としてきた追随と繰り返した己への反駁を磨き上げて尖らせた矛。色褪せた嗚咽の感覚を、つまびらかに思い出しては笑ったり、悲しくなったりした。ペイントの彩りには特別に気を遣った、単調にならないように意匠を凝らした。それから、日々つまらないと感じることがないように、画板に描く前と後の精神統一にはいっそう力を入れた。

 五年の苦痛。それは、懊悩から逃れるのではなく、懊悩を抱えて生きていくと決めた覚悟。ペイントの独学と射光の修行から、時の悪魔の天誅に歯を食いしばって逆らい続けた。呼吸を乱しながら、ようやく絵筆が友だちとなってくれた頃、悪魔はいなくなったが孤独の潮騒はやまない。脚を挫いて、立てない日があった。片目が腫れて生活もままならない日があった。屋敷を訪ねた女に焦がれ、放り投げそうになった日があった。彼はそんな夜を毎日過ごした。それでもたった数秒、描いた後には吐きそうなほどの苦しみを忘却の彼方に投擲した。乾いた声ではあったが、彼は確かに幸せに笑った。

 

「なんと、なんという不気味な物体!」

 

 そうして今、彼に対峙するは、混沌とした禍々しい色合いの塊の、絵。

 幾星霜を経て、ずっと、美しい星を描いていた。日が沈んでから眠りにつくまでに、天井の低い小さな部屋に置かれた画板に、目を閉じて、たっぷりペイントをつけた絵筆を一度だけすべらせる。それが、いつか想像すら許されないような、輝く星となることを。彼は、屋敷を訪ねた女に語った。挫いた脚を診にきた医者に語った。朝に目覚めると羽根をばたつかせている鳥にも、蝶にも蛙にも。彼の流暢な話に、耳を傾けたものはいなかった。それでも彼は、少しも疑ったことはなかった。考えたことすら、なかった。

 煌々とつく電球の明かりに照らされて、その不気味と称され、題された絵は、いつまでも彼に影を落としている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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単語読み解説

 

号哭ごうこく/泣き叫ぶこと

坩堝るつぼ

開扉かいひ

昂るたかぶる

反駁はんばく/反論すること

ほこ

嗚咽おえつ

意匠を凝らす面白く工夫する

懊悩おうのう

天誅…てんちゅう/拷問

投擲とうてき

幾星霜いくせいそう

煌々こうこう